豆を挽いて淹れる朝のコーヒーで、気持ちをリセット 安らぎの中で音楽を創る ~音楽と暮らしをつなぐレコード店主のチルタイム~

豆を挽いて淹れる朝のコーヒーで、気持ちをリセット 安らぎの中で音楽を創る ~音楽と暮らしをつなぐレコード店主のチルタイム~

2022/06/09

「朝×音楽」をテーマに、Good Musicを愛する方々にお話をうかがう.flag MAGAZINE。今回訪れたのは、カフェブームなどのトレンド発信基地として注目される東京・三軒茶屋にある、「住環境でのリスニング」がテーマのレコードストア「Kankyo Records」。店主のH.Takahashiさんに、音楽と暮らしの心地よい関係についてお話しいただきました。

「三軒茶屋は、自分が生まれ育った街。子供のころにいくつもあったレコード店が減ってしまったことを残念に思っていましたし、コロナ禍によって住まいと音楽の距離が近づいてきたと感じて、2021年11月、『Kankyo Records』をオープンさせました。

 

この部屋はもともと私が建築事務所として使っていたんですが、楽曲制作をしたり、コロナ禍以前から友人と“リスニング会”と称して、お気に入りの音楽をシェアしていました。そこで聴く曲は、ダンスミュージックやクラブ寄りの音楽も多かったんですが、次第に家で聴くときに心地よいクラシックやアンビエント・ミュージックが増えていったのが興味深くて。そんな気付きから、アンビエントを扱う住環境に特化したレコードストアを着想。自分で描いた設計図をもとに、近所の材木店で木材を切ってもらい、内装などをDIYで造りました。自ら手がけた空間へお客さんに来ていただくことで、設計の仕事にもプラスにもなるのかなと。

 

ただ、レコードの買い付けは全くの素人。知人などから教えてもらいながら、海外のレーベルに『まだ店舗はないのですが、取引してもらえませんか?』と交渉するのはひと苦労でした。でも、大変さと同時に楽しい気持ちもあったので開店にこぎつけたのだと思います」

 

 

「Kankyo Records」は閑静な住宅街のマンションの一室にあり、扉を開けると白を基調とした洗練された空間に誘われます。おしゃれな友人宅を訪ねたような親しみと、異世界に迷い込んだかのような非日常感が味わえる、不思議な魅力を備えたお店です。

 

主力として扱うアンビエント・ミュージック(以下、アンビエント)は、環境音楽とも呼ばれ、近年とても人気のカテゴリー。店主自身も10年近くアンビエントを制作しているミュージシャンであり、空間に音楽への愛情や敬意がにじむことも店の魅力を深化させているようです。

 

 

「両親の影響で、プログレッシブロックなどの古いロックを聴いて育ちました。その中のひとつに、イギリスのロキシー・ミュージックというバンドがあります。メンバーの一人、ブライアン・イーノはその後ソロに転身すると、音楽性ががらりと変わり、いまではアンビエントの巨匠と言われています。大学時代に、「子どものころ見聞きした人の曲だな」と興味を持って聴いたのが、僕にとってのアンビエントの入り口です。聴き始めると、それまで聴いていた音楽よりも、もっと自由でセオリーがないというか、アンビエントのいい意味ではっきりしていないところに惹かれました。

 

2014年ごろからは、自分でも曲作りをはじめました。現在は、友人3人とアンビエントユニットを組み、レコードやカセットテープの制作もしています。僕らは制作を“自炊”と呼んでいるのですが(笑)、それは自分で創って自分で楽しむことを大事にしているからなんです」

 

“自分で創って自分で楽しむ”。最も根源的で純粋な形で生まれる曲だから、アンビエントは聴き手にも安らぎを与えるのかも…。お話を聞きながら、ふとそんなことを感じました。H.Takahashiさんのチルタイムもまた、創って楽しむことそのもののようです。

 

「作曲で、iPhoneのGarageBandというアプリを使うのですが、自宅のソファーでゆったり寝そべりながら、スマートフォンをゲームのコントローラみたいに弄んでいるとフレーズが浮かんでくるんです。 “いいフレーズだな”と思えるものができると、楽しい気持ちになりますね。

 

心が安らいでいるときにいいフレーズが生まれやすいし、そうでないと僕は曲を創れません。だから、曲作り=チルタイム。僕の音楽をレビューしてくださった海外の方が“meditative(瞑想的な)”と表現していて、なるほどなと思いました。

 

かつて会社員として働いていたとき、生活のバランスやバイオリズムが一度崩れると立て直すのが難しいと感じていました。いまは、設計や作曲の仕事などのバランスを見ながら、いつ店を開けるか決めています。働き方を変えたことで、チルタイムを作りやすくなったと感じます」

 

 

「Kankyo Records」は不定休で、オープンタイムも13~18時とゆるやかです。環境を自ら整えることでチルな時間を上手に生み出しているのでしょう。毎日のルーティンは、豆を挽いて淹れるコーヒー。マルチに活動し多忙なH.Takahashiさんにとって大切なチルタイムだと言います。

 

「朝、豆から挽いてコーヒーを淹れるのですが、手動のグラインダーだと挽いている実感があっていいですね。手に伝わる振動や音も心地いい。そうしたちょっとした“手間を楽しむ”感覚も好きなんですよ。それに、挽きたての豆で淹れて飲むと味わいや香りが格段に違いますから、朝のちょっとした贅沢にもなります。

 

ありがたいことに作曲の依頼が増え、店で曲作りする時間も多くなってきました。嬉しい反面、遊びと仕事の境界線が薄らぎ、気持ちのリセットが難しいと感じることもあります。そのためにも、こうした朝のチルなひとときは大事だなと思います。

 

 

様々な日々の気付きを生かしながら、レコードストアでの“環境”をさらに深掘りしたいですね。いまは、調香師の方と“聴くための香り”を開発中です。自然由来のエッセンシャルオイルのみをブレンドした、朝・昼・夜、それぞれ時間帯に合わせた優しい香りです。音楽を聴くためのセッティングを心地よいものに整えると、自分のいる場所でチルな時間が過ごせるのかなと思うので、ホームリスニングに関わる多様な提案ができればいいなと思っています」

 

朝のチルタイムにおすすめのプレイリスト

「多様性、受容性もアンビエントの魅力。世界的に広がりを見せるなかで、最近ではボーカルが入ったり、ジャズのフィーリングを感じさせるものなど、より多彩になっていることは歓迎すべき変化だと感じています」と語るH.Takahashiさん。今回は、家で過ごす朝時間に心地よく感じられるアンビエント・ミュージック5曲をセレクトしてくださいました。

 

 

  1. Green House「Peperomia Seeding」from『Six Songs for Invisible』

    ロサンゼルスを拠点とするアーティスト・Olive Ardizoni(オリーブ・アルディゾーニ)のソロプロジェクト・グリーンハウス。本作は、プロデューサー・Matthewdavid(マシューデイヴィッド)主宰の名門レーベル「Leaving Records」から2020年にリリースしたEPで、日本のミュージシャンや批評家からも絶賛されました。

     「体がまだ目覚めていない寝起きの脳を水の音や優しいシンセの音色がゆっくりと活性化させてくれます」(Takahashiさん)

  2. Isik Kural 「pineapples and lime」from『in february』

    トルコ出身のアーティスト イシク・クラル。ブルックリンの名門レーベル「RVNG Intl.」と契約を結びリリースされた作品です。

    「朝食や朝の支度をしているときのBGMに。鳥の声や作者の歌声が爽やかな朝を演出してくれるアンビエントポップです」(Takahashiさん)

  3. Loris S. Sarid 「無題」from『Music for Tomato Plants』

    イタリア出身のミュージシャン/サウンドデザイナー ロリス・S・サリッドのデビュー作。世界的なムーブメントとなったニューエイジ・リバイバルに寄与したアメリカの名レーベル「Constellation Tatsu」からリリースされた作品です。

    「トマトとトマト農家のために作られたというアルバム。遠くから聞こえるヤカンが沸騰する音やみずみずしくゆったりとしたシンセの音色が心地よい。午前中を落ち着いた雰囲気にしてくれる1曲。事務作業がはかどります」(Takahashiさん)

  4. Robert Haigh「Twilight Flowers」 from『Human Remains』

    1970年代終盤から活動を続けるイギリス音楽シーンの重鎮 ロバート・ヘイ。1990年代に活躍した「オムニトリオ」のメンバーでもあり、現在はピアノ・アンビエントの旗手となっています。本作は2017年、2020年に発表された作品とともに、ピアノアルバム三部作の最終章として位置づけられています。

    「シンプルで透き通っていて美しいピアノの旋律が静かに心を整えてくれる一曲。朝の心がざわつきや緊張や焦りを鎮めてくれるかも」(Takahashiさん)

  5. Emily A. Sprague 「Mirror」from『Hill,Flower,Fog』

    ローファイ・フォーク/ポップ・バンド「Florist」のフロントマンで、アンビエント・アーティストとしても注目されているエミリー・A・スプレイグ。本作はもともと音楽アプリのBandcampのみでリリースされていて、新しいトラックとアートワークを加えて改めてCDでリリースしたものです。


    「頭の中にある雑念の一切を、ゆったりと波のようにくり返される美しいメロディーのループがかき消してくれます。禅の精神にも通づる明鏡止水的な一曲。」(Takahashiさん)

プロフィール

H.Takahashi

1986年、東京都生まれ。Architect /Audio Composer。大学で建築やアートを学んだ後、「Sinichi Ogawa & Associates」で建築・設計の仕事に従事。2015年に「Where To Be Vo.2」をリリースし、コンスタントに作品を発表するかたわら、音楽イベントやライブなどにも多数参加。CM音楽や映画の劇伴なども手がけている。2018年、世田谷区三軒茶屋に「 H.Architecture」を開業。2021年、同所に、住環境に特化したレコードストア「Kankyo Records」をオープン。毎月末に次月のスケジュールが発表されるTwitterは必見。

 

Kankyo Records 公式HP:https://kankyorecords.com/

Twitter:https://twitter.com/kankyorecords

 

ライター / Yuko Kitsukawa

文化芸術を中心に、輝く人の魅力を深堀るライター。ゆるベジ、旅と自然Lover

(取材日:2022/05/18、 取材地:カンキョーレコーズ、 編集:佐藤 史親、 カメラマン:ひらはらあい