「音楽×朝」をテーマに今回お話をうかがったのは、東京・銀座で100年以上続く老舗画材店「月光荘」の代表を務め、生演奏やアートを楽しめる「月光荘サロン 月のはなれ」店主、シンガーソングライターとして活動するなど、マルチに才能を発揮する日比康造さんです。
1917年、日比さんの祖父が創業した「月光荘」は、質の高いオリジナル絵の具の開発などのものづくりで、芸術家の表現を支えてきました。店の名付け親は歌人・与謝野晶子。シンボルマークの“友を呼ぶホルン”は、与謝野夫妻や芥川龍之介、島崎藤村らが考案したもの。「月光荘」は多くの著名人が集い、文化を醸成するサロンの役目も担っていました。
そうした、豊かで重厚なバックボーンを受け継ぐ日比さん。ある日耳にしたザ・ブルーハーツの音楽に魂を揺さぶられ、その日から“シンガーソングライター・日比康造”の真の音楽を探す旅が始まったのだそうです。
「幼いころアメリカで過ごし、周りとうまくなじめなかった自分は、バイオリンに夢中で、1日8時間近くも練習していましたね。そんな生真面目な少年が、たまたま遊びに行った友人の家でザ・ブルーハーツと“出遭って”しまった。譜面どおりに弾く音楽以外知らなかった僕に、彼らの音楽は刺激的すぎて『いったい何が起こっているのか』と途方にくれました。今思うと、ものすごく感動していたんですよね」
ザ・ブルーハーツの音楽的ルーツの一つがアメリカ発祥のブルースにあると知り、日比さんは19歳で渡米。街で出会う音楽仲間とセッションしながら、世界中を旅してまわったそうです。
「ブルースは、曲の合間に8小節とか16小節とか、自由に弾いていいパートがあります。その自由度の高さに魅了され、本物のブルースに触れてみたいと、
あてもないのにアメリカのミシシッピに渡りました。その後しばらくはシカゴに留まり、そこで出会った人たちに導かれるようにして、ヨーロッパやアフリカへ。最後はなぜか、アラスカで先住民と狩りをしていましたよ(笑)。
そんな音楽の旅を5年ほども続けましたね。なぜそこまでやったのか…。今思うと、本物だけが集う『月光荘』という強烈なバックグラウンドがあったからかなと。本物に対する憧れ、渇望は人一倍強かったのだと思います」
帰国後、シンガーソングライターとして活躍するかたわら、「月光荘」を受け継いだ日比さん。2013年には、銀座で空を望めるカフェ・バー「月光荘サロン 月のはなれ」を開業。上質な生演奏と壁を彩るアート、こだわりの料理が織りなす心地良い空間を求め、多くの人が訪れる人気店となっています。
「創業100周年が見えてきたとき、道具を売るだけの『月光荘』から、かつて与謝野晶子さんたちが愛してくださった、表現者たちが遊んで集えるサロンのような場に原点回帰したいと思いました。そこで、画材倉庫を大改造。最初は、料理も酒も、演奏もと、ひとりで何役もこなしていました。なんの当てもなかった音楽の旅が、ここで様々な形で役に立つとは不思議なものです(笑)。
3年が過ぎた頃、『月のはなれ』は熱のある演奏とアートのある空間の中で、大人たちが思い思いに過ごす場所になっていた。それを目の当たりにしたとき、『僕が創りたかったのは、これだ』と、感慨深かったですね」
2021年6月、埼玉県三芳町にあった絵の具工房を、ファクトリーの機能を残しながらカフェバーやアトリエなども備える複合アート施設「月光荘 ファルベ」へリノベーション。コロナ禍での新たな挑戦でした。多様に広がる事業と、自身の音楽活動を同時に行う多忙な日比さんですが、心穏やかなチルタイムを過ごせていると言います。
「『今日は、ここからここまでチルタイムにするぞ』と予定を立てても、僕の場合は急に予定が変わることも多い。だから意気込んで時間を空けるより、たとえばこうして取材を受けている時間も楽しいと思えるようにしていく。そうした、ちょっとした出来事に喜びを感じたり、感動することで、心の安らぎ、チルを生み出していますね。
あと、僕は虫が大好き(笑)。家や店のあちこちにルーペを置いて、虫を見つけるたびにのぞき込んでいます。すると、とたんに小さな虫が“非日常”になる。『月のはなれ』のテラスには木があり、鳥や虫も訪れます。小さな循環を目にすると心が豊かになるし、けなげに生きる姿に励まされますね。だから、僕にとって仕事場である『月のはなれ』での時間もチルタイムなんです」
小さな命の営みに感動する柔らかな感性を持ち続けている日比さん。モーニングルーティンは、自然や自分自身と静かに対話することなのだそう。
「朝は身体が乾いているから、白湯を飲むところから1日がはじまります。それから、日光浴と虫の観察を兼ねて、小さな椅子と飲み物を片手に自宅そばの多摩川へ出かけます。河原や土手に身を置いていると、虫や鳥、カエルなどいろんな生きものと出会うんですよ。懸命に生きる命に向かって、『みんな、どんな感じ?』と問いかけたくなるし、逆に『俺はいま、どんな感じだろう』って自分を見つめることにもなる。仕事も含めて、そういう繋がりやダイナミズムを大事にしたいですね。
時間が許せば『朝葉巻』を楽しむことも。これは、粋な銀座の大人たちが教えてくれたたしなみで、わずか30分でも無私になれる。極上のチルタイムです。素の自分に還る時間があることで、大人としての日常も頑張れるんじゃないでしょうか」
朝のチルタイムにおすすめのプレイリスト
自らもシンガーソングライターとして歌い、ギターやピアノ、バイオリンなどマルチに演奏する日比さん。店主を務める「月のはなれ」では、毎夜のように生演奏が鳴り響いています。常に音楽に囲まれている日比さんは今回、「朝の気分別にフィットする5曲」をセレクト。クラシックからブルーファンクまで、多彩なプレイリストから音楽への造詣の深さを垣間見ることができます。
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モーツァルト「ディヴェルティメント K.136」
ディヴェルティメントとは、18世紀中ごろに現れた楽器組曲のこと。ハイドンやモーツァルトによって多くの作品が生み出されました。この曲は若干16歳のモーツァルトが作曲したとされる弦楽四重奏です。
「幼少期にオーケストラにてバイオリンで弾き倒した曲。気晴らしという意味のある軽妙な曲調で、個人的な懐かしさと共に温かい気持ちの朝を迎えられます。浅煎りのコーヒーと共に聴きたい曲です」(日比さん)
- THE BLUE HEARTS「リンダリンダ」
1985年に、ボーカルの甲本ヒロトさんとギターの真島昌利さんを中心に結成。1987年にメジャーデビューし、この曲のほか、「TRAIN-TRAIN」「情熱の薔薇」など数々の名曲を世に放った伝説のパンクバンドで、後出のバンドマンに多大な影響を与えました。
「最近はあまり聴かなくなりましたが、心の中のブルーハーツは、いつでも大音量で鳴り響いている。13歳でかかった魔法はいまだ解けません。思い浮かべるだけで一瞬で爆発的な力が湧いてきます。牛乳をがぶ飲みしながら聴きたい曲です」(日比さん)
- mille baisers(ミルべゼ)「Le Berceau(ルベルソー)」
2013年に結成された、横山千晶(ヴァイオリン)と、小久保徳道(ギター)のインストゥルメンタル・デュオ。国内外で精力的にライブ活動を行っています。このナンバーは、2015年の3rdアルバム「Le berceau!」のタイトル曲。
「早く世界と勝負して欲しいと願う音楽仲間です。インストにも関わらず、脳裏にくっきりと景色が浮かんでくる名曲。聴く人の数だけ、何色もの朝を届けてくれるはず。シナモンスティックでカプチーノをかき混ぜながら聴きたい曲です」(日比さん)
- Louis Armstrong「What a wonderful world (この素晴らしき世界)」
ジャズトランペッター・ルイ・アームストロングは、世界中のジャズマン、ブルースマンに今なお尊敬され続けるポピュラー音楽の巨人。「この素晴らしき世界」は、多くのミュージシャンがカバーしている名曲です。
「この人が味わってきた悲哀に比べれば、自分の置かれた状況など、ただ春の夜の夢のごとしと思えます。美しい旋律としゃがれ声のマリアージュが、昨日を許し、今日を目一杯生きる力を与えてくれる。深煎りコーヒーと葉巻と共に聴きたい曲です」(日比さん)
- Keziah Jones「Where's Life」
キザイア・ジョーンズは、ナイジェリア出身のシンガーソングライターで、超絶テクのギタリスト。ブルースとファンクを融合させたブルーファンクという新しい音楽で、世界の音楽シーンを驚かせました。この曲は、1992年のアルバム「Blufunk Is a Fact」に収録されています。
「割とたくさんある二日酔いの朝。気怠い空気に元気はいらない。まぁ昨夜も良くやったよ、人生ってなんだろねと、そっと寄り添ってくれる哀愁のブルーファンク。転がっているウィスキーと水道水で、ほんの少し昨夜の続きを」(日比さん)
プロフィール
日比康造 / HIBI KOZO
1975年、東京都出身。幼少期をアメリカ・ニューヨークで過ごす。3歳でバイオリンを始め、音楽と共に人生を歩む。慶応義塾大学在学中から、ブルースを歌うために何度も渡米。24歳で帰国後、シンガーソングライターとしてデビュー。現在、株式会社月光荘画材店代表。生の音楽とアート、クレオール料理が楽しめる「月光荘サロン 月のはなれ」およびカフェバー「月光荘ファルベ」店主。シンガーソングライターとしても、精力的にライブ演奏活動を行う。
店舗情報 / 月のはなれ
Instagram : @ginza_tsukinohanare
(取材日:2022/02/21、 取材地:月のはなれ、 編集:佐藤 史親、 カメラマン:ひらはらあい)